何儀(かぎ)、曹操帰順直前の許褚に捕らえられた黄巾賊の残党【三国志 演義と正史の比較】




三国志

黄巾賊の残党。黄巾の乱収束後も、数万の大軍勢を擁していました。しかし、自身の基盤をより拡大しようとする曹操に攻められ、敗北を喫します。

演義の何儀

汝南郡、穎川郡を中心に暴れ回り、略奪の限りを尽くしていました。なかば盗賊の頭目のような存在でした。

しかし、徐州討伐の折、兵糧の不足に悩んでいた曹操の軍勢に襲われます。

このとき、まだ無名だった許緒に捕らえられています。許褚は、この当時、まだ曹操配下ではありませんでしたが、典韋と一昼夜打ち合い、許緒が曹操に帰順すると、あっさり斬り殺されました。

正史の何儀

劉畔、黄部、何受らとともに、それぞれ数万の軍勢を擁して、最初は袁術、続いて孫堅に近づきました。

天子を迎えようとする曹操によって討伐軍を差し向けられ、衝突すると、あっけなく敗北。

劉辟(りゅうへき)らは斬られたが、何儀とその軍兵は降伏しました。

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