華歆(かきん)、孫策・孫権→曹操・曹丕・曹叡に仕え、献帝には禅譲を迫り、司馬懿の兵権を剥いだ大物【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は子魚。平原郡高唐県の人。予章郡の太守。

管寧らと友人で、若い時一緒に留学しました。世の人は、彼らを「一龍」と呼びました。

演義の華歆

呉の孫策に投降した後、都への使者となり、そのまま曹操に仕えました。曹操は以前より華歆を尊敬していたのです。

伏完の曹操暗殺計画が発覚したとき、壁の中に隠れていた伏皇后の髪をつかんで引きずり出して捕らえました。

演義の華歆は己の出世のためならば、手段を問わないような男だったといえます。

魏国建国後、御史大夫となります。曹丕が王位につくと、相国になりました。そして賈詡、王朗ら四十余名とともに、献帝に禅譲を迫りました。

華歆「魏王は徳政を行なっております。陛下は帝の位を魏王にお譲りなさい」

この時、華歆は、献帝の襟をつかんで強引に禅譲を迫ったといいます。

曹叡の代には太尉に任ぜられ、曹操の遺言に従って、司馬懿の兵権を剥ぎました。

演義では、終始一貫して、権力におもねる悪人として描かれ、その性格の卑しさを嫌った管寧から、絶交されたことになっています。

正史の華歆

品行高く清廉。慎重で思いやり深い性格。

何進のとき、都に召されて尚書郎となります。董卓の専横時、袁術から馬日磾のもとを渡り歩き、予章太守になりました。

孫策が江東を平定すると、これに従い、孫権の時、曹操に呼び出されて都に行きます。

その後、次々と重職を歴任。曹丕の時、管寧を推挙しました。

曹叡の時、病気を理由に、 太尉の位を管寧に譲りたいと願ったが容れられませんでした。

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