袁紹の幕僚。激しい気性で、節操が固く、古武士の風格があるといわれた。
逢紀とともに袁尚を後継者にしようとし、袁譚を擁立する辛評、郭図と対立した。
袁紹が曹操と争うか迷ったときは、主戦派につき、田豊らと争った。曹操と戦うことが決まると逢紀とともに総指揮官をまかされる。
鄴を守備して激しく曹操に抵抗したが、徐晃に生け捕りにされ、処刑された。
演義の審配
袁紹の生前から郭図と激しく対立する。
鄴城で、東門の守将であった馮礼が酔って仕事を怠ったため厳しくした。
馮礼はこれを恨んで曹操に投降、坑道を掘って城内に潜入しようとする。
審配は石のしきりを下ろして、 馮礼らを皆殺しにした。
捕らえられ、死に臨んでも曹操に屈せず、袁尚の逃げた北方を向いて斬刑を受けた。
正史の審配
はじめ逢紀とそりがあわなかったが、讒言された審配を逢紀がかばったことから、親交をむすぶ。
法にそむいて罪人をかくまい、亡命者の親玉と目されたほどだった。
鄴城でよく曹操軍を防いだが、甥の審栄が東門を開いて曹操軍が城内になだれこむと、激怒し、牢内にとらわれていた辛眠の家族を皆殺しにした。