許儀(きょぎ)、許褚の跡取りだが、手柄をはやり鍾会に斬首された【三国志 演義と正史の比較】




三国志

魏で一、二を争うう猛将だった許褚の跡取り。 牙門将軍。

演義の許儀

蜀を討伐しようとする鍾会の軍に名乗りを上げ、先鋒を任された。後続の行軍を楽にするため道を切り開く役目を担っていた。

諸将も彼を推挙したので、進軍に妨げのないよう、道路や橋を整備しながら漢中攻略に進撃せよと命じられる。

しかし、手柄にはやり、途中、蜀軍が守る南鄭関を攻めるが、連弩による反撃を受け大敗した。

敗報を聞いた鍾会は、自ら関の攻略に向かうが、合戦中、橋を渡る際に、馬の足下が崩れ、あわや敵に討ち取られそうになった。

帰陣した鍾会は、許儀の怠慢のせいだと激怒する。諸将は助命を請うが聞き入れられず、許儀は斬首にされた。

正史の許儀

鍾会は渡ろうとした橋に穴が開き、馬の脚をとられたことを怒って許儀を斬った。

名将の子ですら断罪する鍾会に、諸軍の将兵は震え上がった。

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