董允 とういん、諸葛亮・蒋腕・費禕と並ぶ「四相」「四英」【三国志 演義と正史の比較】




三国志

蜀の家臣。

演義の董允

諸葛亮は、公明正大な董允を見こんでいた。

そのため北伐に際し、『出師の表』にも「董允の志は忠実、純粋」と書いて、宮中の諸事を任せるよう、劉禅に上奏を奉った。

正史の董允

董和の子。

劉備によって選ばれ、劉禅の舎人となる。

のち劉禅が帝位につくと、黄門侍郎になった。諸葛亮が北伐に際し、侍中、虎真中郎将に昇進させ、近衛兵の指揮に当たらせた。

後宮に美女を入れたいという劉禅を、たびたび諌め、ために怖がられた。

さらに劉禅は、宦官の黄コウを寵愛。

しかし董允の目が光っていたため、さほどの悪事は働けなかった。

蜀の人々は、諸葛亮、蒋腕、費禕、董允の四人を称し「四相」とか「四英」と呼んだ。

許靖の葬式のとき、董允は父の董和の命で、費緯と共に、鹿車という、みすぼらしい小車に乗って行かなければならなかった。

恥じ入る董允に比べ、費禕は平気でいる。これを見た董和は「おまえと費禕とどちらが優れているか判断しかねたが、これで費禕のほうが上だとわかった」と評した。

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