陶謙 とうけん、劉備に徐州を譲る【三国志 演義と正史の比較】




三国志

徐州の牧。丹揚郡の人。

曹操の父の死の責任を問われて、徐州に曹操軍の侵攻を受ける。

死の間際に徐州を劉備に譲った。

演義の陶謙

曹操の董卓討伐の檄に応じて集結した諸侯のひとり。

曹操の父曹嵩の護衛を命じた張團が、一行を殺して逃亡した。

そのため、徐州は曹操の蹂躙を受ける。

陶謙は配下の糜竺、陳登を使者に立て、北海の孔融、青州の田楷、劉備、趙雲たちの援軍を迎え、かろうじてしのいだ。

病の床で自分の死期を察した陶謙は、劉備に徐州の牧となるよう頼みこむ。

そして孫乾を補佐として推挙し、息絶えた。

正史の陶謙

陶謙に仕えた人物、陶謙が取りたてた人物には、王朗、朱治、陳登、糜竺などがいる。

一方で陶謙は、感情にまかせて行動する人物だった。

韓遂討伐に西方へ行ったとき、上官だった張温を宴席で侮辱し怒らせている。

また、孫策を忌みきらっていた。そのため孫策は彼を避け、江都の母を移住させた。

招きに応じない張昭やスパイの疑いをかけた呂範を捕らえて幽閉したこともある。

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