何倍も面白くなってる!北方謙三版 三国志、その特徴を語ってみる…呂布がこんなに魅力的!




三国志

北方謙三氏の人間観

作家・北方謙三氏の人物の描き方には、明確な方針があります。

ひとりの人間には、賢将の部分と愚将の部分が同時にあるという考え方です。だから、一方的に英雄だとか、一方的に愚かな武将だと描きません。

三国志の武将たちを、一面的にではなく、多面的に描き出すのです。

それは劉備や曹操といった面々も例外ではありません。

北方版三国志を書いた理由

桃園の契りへの違和感

三国志演義は14世紀に書かれたフィクションといえ、北方謙三氏は、まずもって有名な「桃園の契り」に違和感を抱きます。「姓は違い生まれた日が別でも、死ぬのは同じ日だ」の、あれですね。

劉備、関羽、張飛という男三人が出会って、いきなり意気投合するという、その芝居性に我慢がならなかったようです。

リアリティを!

もう少し現実に近づけてみたい!リアリティをもたせたい!

そんな思いがあって、平成8(1996)から『三国志」を書き始めたそうです。

正史を読んで明らかになったこと

そこで、演義ではなく、正史三国志の研究を始めたそうです。

正史は、3世紀末の西晋の時代に編纂された公式の歴史書ですが、もちろん「桃園の契り」なんて書いてないし、呂布と董卓という悪役同士の仲を裂く傾城の美女·紹蝉も出てきません。

新たな呂布のイメージ

演義と正史で比較すると

例えば、演義では、呂布は極悪人として描かれます。最初に仕えた丁原、次に仕えた董卓をそれぞれ養父としながらも、二人とも自分の手で殺してしまいます。

駿馬·赤兎に乗って武勇の人として誰からも怖れられながら、智略にも計画性にも欠け、英傑のイメージは薄いですね。

ところが、正史を読むと、印象が変わってきます。

勝機があるときに出陣しようとした際、「あなたが城を捨て、妻子を置き去りにして、孤立無援の軍勢を率いて遠征なさっている間に、ふいに変事がおこったならば、どうして私は将軍の妻でいられましょうか」という妻·厳氏の言葉を聞き、呂布は出陣をためらってしまいます。

いわば家族愛を持つ人物像が見えてくるのです。

それだけでなく、死が覚悟された絶望的な状況で最後の最後まで、数百人の家来たちが離れずについてきます。

部下たちに慕われる武将としての姿が垣間見えます。

呂布をマザコンにした北方版

北方謙三氏は、呂布を、演義の極悪人像から解放しようと、呂布をマザーコンプレックスとして捉え、()を喜ばせるためだけに戦い、そして死ぬまで戦い続ける男として描いています。

北川版の英雄は曹操

正史の主人公

北方謙三氏は、正史を読んだうえで、この時代の英雄は誰かと問われれば、曹操を挙げると回答しています。

演義では、劉備の敵役として描かれる曹操ですが、正史では主人公であり、真の英雄といっていいでしょう。

まずもって能力値が高いのです。リーダーとしての資質、教養もあり、詩の才能もありました。

北方謙三氏が曹操を評価するポイント

何より曹操で印象的なのは、負けっぷりがいいことだそうです。

たしかに実は曹操は、はじめの頃はよく負けています。特に董卓軍との戦いでは、ボロボロになるほどの大敗を喫しています。

反董卓連合が結成された際、連合軍の諸侯はなかなか動こうとしませんでした。そんな状況に業を煮やした曹操は、無謀にも手勢五千だけを率いて董卓軍の大軍に挑み、兵のほとんどを失ってしまうのです。

その際に北方版では、曹操の次のようなセリフがあります。

私は闘って負けた。そして諸君は、闘わずして負けたのだ。 私は、闘わずして負けた諸君に、訣別を告げる

英雄とは?

英雄とは、なすべきことをたとえ一人でもやり抜こうとする者を指します。

単にだらしなく負けたのではなく、なすべきことのために果敢に戦って負けたからこそ、その後も曹操に人がついてきたのではないでしょうか。

この時、曹操は英雄の道を歩みだしたのです。

さぁぜひ!初めて三国志にふれる人も、もう吉川英治版や、横山光輝の漫画版や、コーエーのゲーム、ソシャゲ等で知っているつもりの人も、ぜひ北方謙三版の三国志を読んでみてほしいと思います。

参考:歴史街道20199月号など

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