譙周 しょうしゅう、蜀の幕僚で、天文の知識に長じていた【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は允南。巴西郡の人。

はじめ劉璋に仕え、後に劉備の幕僚となった。

天文の知識に長じていた。

劉禅に魏に降伏するように勧めた。

演義の譙周

劉璋が劉備に降伏しようとすると、これに賛成し、黄権と劉巴に斬られそうになった。

諸葛亮から、劉備が帝位に就くことについて相談を受け、瑞兆を示して賛成する。

後に、諸葛亮に不吉の兆しを告げて北伐を止めようとしたが、聞き入れられなかった。

ある夜、赤い星が東北から西南へと落ちるのを見た譙周は、諸葛亮の陣没を知った。

内政をかえりみない姜維を諌め、「仇国論」を書くが、相手にされない。

鄧艾が罰に攻めよせると降伏文書を起草した。

降伏後は劉禅とともに洛陽に赴いた。

正史の譙周

蜀の光禄大夫。身長八尺で、彼の様子を見た者は笑わずにはいられなかった。

弁論の才はなかったが、楊戯はその学間を高く評価していた。

七十を過ぎたころ陳寿に会い、「来年を迎えず長旅に出ることになろう」と告げる。これを聞いた陳寿は、譙周は予知の術を心得ているのだろうと評している。

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