韓当(かんとう)、孫堅・孫策・孫権の孫氏三代に仕えた忠臣【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は義公。遼西郡令支県の人。薙刀の使い手。呉の孫権配下の大将のひとり。程晋・黄蓋とともに孫氏三代にわたってよく仕えた呉の武将。

演義の韓当

孫堅の死の直前、 本陣の旗竿が風で吹き折れたのを不吉と見て、孫堅に帰陣を勧めたが聞かれず孫堅は討ち死にした。

孫策が劉繇と戦った際には、呉郡で厳白虎の弟である厳輿と戦った。

周瑜に従って、赤壁の戦い、南郡攻略に参加。呂蒙の指揮で七人の大将のひとりとして荊州へ攻め入人り、これを取った。

関羽・張飛の仇討ちを願う劉備が呉に攻めよせたときは大将となり、周泰、潘璋、凌統、甘寧を従えて迎え討った。

孫権は呉の命運を新たな総大将・陸遜にかけるが、韓当は不満に思い、反抗的な態度を見せる。

だが的確な陸遜の読みにまもなく諸将ともども脱帽した。

正史の韓当

弓術や馬術に優れ体力もあったので、孫堅に目をかけられ、彼とともに転戦した。

会稽、呉、丹楊三郡を討伐し、黄祖と戦い孫権の時代には周瑜、呂蒙、陸遜の下、各地の戦いで活躍した。

地方の戦いではよく自軍の部将や士卒をたばね、目付け役の意見も取り上げたので、孫堅の信頼も篤かった。

部将や士卒の心を掌握し、法を守り、中央の指示に従う優等生の働きぶりで、孫権を満足させた。最後は都督の称号を得るまでになっている。

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