左慈 さじ、曹操のもとで道術を存分に披露【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の左慈

烏角先生とも呼ばれる。山中で三十年間道術を学んだ。

ある日雷が落ちて岩が裂け「遁甲天書」という書を得たという。

曹操の元へ来るが劉備の回し者と疑われて拷問されるが高いびきをかき、柳をつけられ牢屋に水一滴与えず七日間押しこまれればかえって顔色がよくなった。

ならばその術を試してやろうと宴席で術を披露することになった。そこで壁に龍を描いてその肝を取り出し、冬に牡丹に花を咲かせた。

酒を飲めば盃のなかにかんざしで線を引いて半分だけ飲んでみせて盃を空中に投げれば白い鳩に変わった。

急に姿を消してみせ、許猪の追跡をゆっくりとした足取りで歩きながらかわしていった。

正史の左慈

養生法を好んだ曹操はあるとき華佗や甘始たちなど方術の士を招いた。

そのなかのひとりだった左慈は補導の術に精通していた。

つまりは房中術だが、このおかげで天から与えられた寿命をまっとうすることができたという。

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