王濬(おうしゅん)、王渾とともに呉討伐に功をなした名将【三国志 正史と演義の比較】




三国志

字は士治。晋の益州刺史。龍驤将軍として呉征服の軸となりました。

演義の王濬

司馬炎に呉の討伐を熱心に説きました。「呉の孫皓は無能の君主である。老将丁奉も、名将陸抗も死んだ今こそ、呉を討伐するべきである」との上奏をおこないます。

一度は王渾の諌めで訴えは取り下げられたが、杜預や張華の応援で、晋帝・司馬炎はついに呉の討伐を決意、ついに晋は呉討伐の大を興します。

王濬は龍驤将軍として益州から遠路、大船団で、長江を水軍で攻め下り、広武将軍の唐彬と呉へ攻め入りました。

牛渚の戦いに大勝。石頭城でも張象を投降させます。

呉の都に攻め上ると、城内に攻め入ると、孫酷は自縛、王渾らとともに孫皓の降伏書簡を受け取りました。

王濬は孫皓の縄を解き、王者の礼を以って遇しました。これにより、呉の平定は成りました。

正史の王濬

呉討伐の戦いでは、王渾と手柄争いをして、戦果を何倍にもしました。呉の陥落の際、地図や戸籍を押収しました。

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