蜀の幕僚。襄陽郡宜城県の人。
馬謖の兄。優秀な馬家の五人兄弟の中で最も優れるといわれた。
演義の馬良
伊籍の推薦を受けて劉備に迎えられた。
劉備が蜀へ向かうと、荊州を守る関羽の補佐となる。
樊城攻撃には、伊籍とともに参謀として従った。
麻酔なしで華佗の手術を受ける関羽の碁の相手を務めたことも。
関羽が荊州を失うと、馬良は伊籍と成都へ援軍を求めにいくが、間に合わなかった。
張飛も死に、呉を討とうとはやる劉備。馬良は不安を抱き、劉備にさまざまな助言をし、また諸葛亮に相談したりもした。
しかし結局白帝城で、諸葛亮や馬謖ら諸官とともに、劉備の最期を見守ることになった。
正史の馬良
呉へ使者として赴き、孫権に敬意のある待遇を受けた。
劉備が呉を討つにあたり、武陵の蛮族を慰撫して協力させた。
夷陵で劉備が大敗した時に殺害された。
裴松之は、馬良が手紙の中で「尊兄」と呼んでいることから、諸葛亮は馬良と義兄弟か親族だったのでは、と考察している。蜀臣の向朗は、馬良兄弟を尊敬していたという。