曹彰 そうしょう、曹操の次子で、腕力は人並み以上で武芸を好み猛獣と格闘するほどの激しい気性【三国志 演義と正史の比較】




三国志

曹操の次子。

鬚が黄色だったので曹操から「黄鬚児」と呼ばれた。

腕力は人並み以上で武芸を好み猛獣と格闘するほどの激しい気性。

代郡の烏丸の反乱や他の蛮族の征伐に派遣されることが多かった。

演義の曹彰

漢中をめぐり劉備軍と交戦する曹操が陽平関で苦戦しているところへ加勢に駆けつけた。

このとき敵将劉封を三合で破ったが馬超と呉蘭の軍勢に襲われ逃走。

その途中呉蘭を馬から突き落とした。

その後曹操の死に際して長安から都に十万の兵で押し寄せたが曹丕と対面してわだかまりもなくなり手勢を引き渡すと領国に帰った。

正史の曹彰

曹丕と曹植や曹熊と同母の兄弟。

烏丸の平定のとき曹丕に「武芸一辺倒ではなく大将として法を守るように」 と戒められ、征伐に成功した際も「功績を自慢せず控えめに」と忠告され、これに従って曹操に喜ばれた。

だが曹操の死後、曹丕に冷遇されて、後継争いに敗れた曹植を気遣いながら領国に帰った。

曹叡が即位すると任城王となり、のちに威王と諡された。

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