曹植 そうしょく、文才に優れ、父・曹操に愛されていた【三国志 演義と正史の比較】




三国志

曹操の三男。曹丕・曹彰の同母弟。詩人。諡号は陳思王。

丁儀や楊修などが脇をかため曹丕と最後まで後継者問題で争った。

曹丕が即位すると冷遇されて領国へ引きこもった。

性質はおおまかで華美ではないが天才肌で努力をせず飲酒も慎まなかった。

演義の曹植

銅雀台の造営を曹丕と共に担当して完成のおりに『銅雀台の賦』を作った。

曹操に曹丕との優劣を試されたとき鄴城

の門を出るようにいわれたふたりだが曹操に命じられた門衛に行く手を阻まれた。

曹丕は引き返したが曹植は門衛を斬って外に出た。

曹操に評価されたが、それが曹操が嫌っていた楊修の案だと知られると疎んじられるようになった。

疎んじられると、曹植は酒びたりになり、曹操が死ぬと葬儀に出ず許褚に連行された。

曹丕の前で、七歩歩く間に詩を作れと言われ『七歩吟』を詠んだ。この詩が評価されて罪を許された。

正史の曹植

儒者を招いた時、緊張をほぐすためおしろいをつけて異国風に踊ってみせた。

その後衣服を改めて議論を尽くして相手に認められた。

多くの才人と交わりその文才は衰えず、曹不が死去した時、哀悼文を読んだ。

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