右北平郡の人。
演義の程普
鉄脊蛇矛の遣い手。
孫堅、孫策に従って戦い、軍功を立てた。
赤壁の戦いの時副都督となり、周瑜の下につくことを不満に思う。だが、周瑜の用兵の妙に感心し、謝罪した。
その後、孫権のもとで戦いに参加するものの、いつ死んだのかはっきりしない。
正史の程普
孫策の江東平定に多大な功績があった。
孫策が祖郎を攻めた時、敵に包囲された。しかし、この時程普は、捨て身で敵中に飛びこみ、逃げ道を作って孫策を救い出した。
蕩寇中郎将、零陵太守になる。
赤壁の戦いの時、周瑜と並ぶ都督の位にあった。赤壁勝利の功で、神将軍、江夏太守に。
気前が良くて面倒見も良く、古参の武将の中でも「程公」と呼ばれ、親しまれた。
周瑜の死後、南郡太守になった。後に江夏に戻り、蕩寇将軍に昇進。
反逆者百人を、火の中に放りこんで焼き殺した日、病にかかり、百日後に死亡したという。