程昱 ていいく、曹操の作戦参謀【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の程昱

荀彧の推挙で曹操に仕える。郭嘉を推薦。

曹操が徐州の陶謙を攻めた時、後に残り、荀彧と共に呂布の攻撃から守った。

呂布に追われた劉備が曹操のもとへ頼ってくると、殺すように進言。

だが、曹操は聞かなかった。その後も、倉亭の戦いで「十面埋伏の計」を献策したり、赤壁の戦いで、火攻めに注意するよう促したり、地味ながら的確な進言を行なう。

正史の程昱

身長八尺三寸。みごとなヒゲを生やした偉丈夫。

本名は程立。若い時に見た、泰山で日を支える夢から、曹操が「昱」と改名させた。

劉岱の招聘には応じず、曹操が召し出した時、喜んで応じた。

尚書、東中郎将、済陰太守、振威将軍と昇進。

八十歳で「充足を知る者は恥辱を受けない」と引退。権力闘争に敗れて免職したとも。

曹丕の時返り咲き、衛尉、安郷侯に。宰相に任命される直前に死亡。

車騎将軍に追贈された。死後、夏侯惇や曹真とともに、曹操の霊廟の園庭に祭られた。

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