白起 はくき、秦の歴史を変えた戦国時代最強の武将【漫画キングダムの元ネタ】




キングダム

白起(はくき)。生没年 紀元前?~前257。秦の将軍。戦争で抜群の戦功を立てた常勝将軍。(漫画キングダムでは秦国六大将軍の筆頭という設定)

白起は秦の昭王(しょうおう)に仕えた武人で、用兵に長けていたことから着々と軍功と昇進を重ねた。

出陣すれば必ず城を攻め落とし、一番多いときにはいくつもの城を奪ったことから、ついには武安君(ぶあんくん)の称号を贈られるまでになった。

しかし昭襄王と不和になり士卒に落とされて自害。このとき「何の罪あるか」、「長平で趙の降卒40万を偽って穴埋めにした。死ぬのに十分だ」と自問自答した。

そもそも直接対決したことのある魏・韓・趙・楚では白起の名を聞くだけで震え上がり、警戒心を強めていた。

そのため秦では長平における趙との戦いが膠着状態に陥ったとき、総大将を白起に代えながら、その情報が趙陣営に漏れないよう、細心の注意が払われた。

それ以前、秦が仕掛けた反間(はんかん)の計が功を奏し、趙軍の総大将が廉頗(れんぱ)から趙括(ちょうかつ)に代わっていた。名将趙奢(ちょうしゃ)の子である。

早くから兵法を学び、軍略を論じさせれば父をも黙らせるほどだったが、実戦経験はなく、完全に父の七光で、初陣にしていきなり大役を任されることとなった。

わが息子に大将としての器なし。父の趙奢はそれを見抜き、妻にも言い残していた。趙括に国の命運を左右するような大役は務まらないと肝に銘じていた母が趙王に直訴するも退けられてしまう。

秦では白起が功にはやる趙括がやすやすと陽動作戦に引っかかるであろうことを見抜いていた。

かくして白起は趙軍を二分して包囲することに成功。補給路を断たれた趙軍40万人の兵士が降伏すると、後顧憂いを断つためとして、年少の240人だけに帰国を許し、他はみな生き埋めにしてしまった。

白起は「趙の士卒を皆殺しにしなければ、また反乱を起こす」と考えなである。残虐な措置に趙は震え上がった。

白起はその後も戦勝を重ねるが、丞相の応侯(おうこう)が趙と和議を結んだことをきっかけに、2人の関係に亀裂が生じる。

折悪しく白起は重い病にかかり、出陣どころではなくなってしまった。

しかし、白起の仮病を疑う者は多く、再三の督促のあげく、ついには王命が発せられるに及び、白起はやむなく出陣するが、咸陽(かんよう)を出てまもなく届けられた命令書には、ただちに自決せよとあった。

応侯の差し金であることは明白だったが、白起は長平の戦いの降伏した40万の兵への生き埋めの報いであるとして素直に受け入れたのだった。

参考:別冊宝島2600春秋戦国時代合戦読本、双葉社スーパームック『春秋戦国の英傑たち』

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