ミハイロヴィッチ監督
インタビュアー
窓越しに白血病で療養中ミハイロヴィッチ監督にお見舞いするというアイデアは?
冨安健洋
「それは奇妙なことでした。(前節の)ブレシアからバスで戻ってきたので、アイデアが誰から来たのかまだわかりませんでした。私たちは本当に家族です」
インタビュアー
それはすべてのチームと言われています、そしておそらく多分それは本当の親のように戦います…
冨安健洋
「いいえ、今回は本当です。私たちはミハイロヴィッチを愛し、彼は私たちを愛しています」
インタビュアー
何回ミハイロヴィッチに会ったことがありますか?
冨安健洋
「本人ですか?二回、さよならを言うだけ。他の時は、テレビ会議中にモニターで見ました」
インタビュアー
あなたにとっては辛いに違いない。あなたのような若者はコーチを最も必要としていますから…
冨安健洋
「モニターを通してで奇妙なことだったが、ロッカールームでは誰もが私たちに手を差し伸べてこの状況に対処する方法を見つけることができたと言わなければならなりません」
冨安健洋の目標
インタビュアー
あなたの目標?チームとして、そして個人として…
冨安健洋
「我々はヨーロッパリーグに出場したいです。個人的なレベルでは、できるだけ多くプレーしたいと思っています。なぜなら、たくさんプレーできれば、向上できることを知っているからです」
中田英寿?ザッケローニ?
インタビュアー
あなたの前のボローニャには、もう一人の日本人、中田英寿がいました。彼を知っていますか?
冨安健洋
「彼が誰であるかは知っているが、彼に直接会ったことはありません。過去に数年間日本代表の監督だったアルベルト・ザッケローニを知らなかったように、彼が誰なのかくらいは知っています」
なぜイタリアに?ボローニャに?
インタビュアー
他の外国のクラブからもオファーがあるのに、なぜボローニャを選んだのですか?
冨安健洋
「ポル・ガルシア(シントトロイデンDF)がイタリアの話をしてくれました。彼は一緒に遊びました」
「セリエAに来て良かったのは、ディフェンダーにとって、ポル・ガルシアが言ってくれたように、成長するのに理想的な場所だったからです」
「そしてボローニャが私を誰よりも欲しかったことに気づいたので、ここで成長する機会があると思いました。私が話をしたもう一人は、インテルとチェゼーナでプレーした私の代表チームメートである長友佑都です。彼は、セリエAは難しいが、君の成長に役に立つだろうと私に言いました」
チームメイト
インタビュアー
あなたがすでに仲が良いチームメイトは誰ですか?
冨安健洋
「アンドレアス・スコウ・オルセンです。私たちはともに若いからです。しかし、その他の経験豊富なプレイヤーも、いつでも私を助けてくれて、アドバイスをくれます」
インタビュアー
一番印象に残ったのは誰ですか?
冨安健洋
「名前を言わなければならない場合、ロベルト・ソリアーノです。彼はすべてを行う資質を持っているので、彼は得点する方法を知っており、得点の機会を作る方法を知っています。私は彼とオルソリーニと素晴らしい対話をしています」
ボローニャという街
インタビュアー
ボローニャという街はどうですか?
冨安健洋
「食べ物?トルテリーニは良いですが、私は米が好きです。アスリートなので食べすぎることはできませんが、ここでは本当によく食べます。日本との違いは?ここイタリアでは、とても友好的で誠実です。誰かと仲良くなるのが簡単です」
ミハイロヴィッチの激怒
インタビュアー
第3節のブレシア戦について…
冨安健洋
「ええ、前半は本当に悪かったです。その間、ミハイロヴィッチは私たちに彼がどれほど怒っているのかを理解させ、私たちは奮起しました。コーチのために、そして私たち家族のためにです」
参考:ボローニャの地元紙「il Resto del Carlino」