まもなく開幕するJ1リーグの2020シーズンで、僕的に最も注目されるFWは、柏レイソルのオルンガですね。そこで、2018年夏に来日した、ケニア人初のJリーガーについて復習しておきたいと思いました。
基本情報
マイケル・オルンガ・オガダ
1994年3月26日生まれ
ケニア出身
193センチ85キロ
サッカーをはじめたキッカケ
父とストリートサッカー
オルンガはサッカーが大好きな父の下でオルンガも育ちました。
オルンガ「気づいた時にはサッカーに熱中していました。アフリカではサッカーができる環境が整っていなかったから、僕の原点もストリートサッカー。そこは、ブラジルに通ずる部分があるかもしれませんね」
オルンガは、ナイロビ郡リーグのリバティスポーツアカデミーでキャリアを始めました。チームはオルンガの活躍で翌年ナイロビ州リーグへの昇進しました。
父と母
父親はジョセフ・オガダ・オルンガ 、母親はアリス・オガダです。
あだ名「エンジニア」の由来
一方で「高校の成績は良かった」と言う通り、文武両道を貫き、ケニア技術大(「ケニア工科大学」という訳も)に入学。地理空間工学を学び卒業、工学士の資格を取得しました。
そんなオルンガに所属チームのサポーターが『エンジニア』というあだ名をつけてだそうです。
オルンガ「私は教育を非常に真剣に受け止めています。サッカーのキャリアが優先事項であっても、何らかの理由で授業をスキップすることはほとんどありません」
ケニア、そしてスウェーデンでの奮闘
山あり谷ありの初期キャリア
大学に通いながら、2012年にケニア1部リーグのタスカでプロキャリアを本格的にスタート。
オルンガ「タスカでは2012年にリーグ優勝をして、経験豊富な良い選手がたくさんいました。そんなクラブでプロになれて嬉しかったけど、なかなか先発では出られなくて…」
ケニアでMVP
「でも翌年の2013年、ティカ・ ユナイテッドに(ローン)移籍して、10ゴールを挙げた。中堅クラブだったけど、自分の知名度が上がったのはその頃かな。おかげで2015年には国内で人気があるゴールマヒアに加入できて、そこで力を出せた。3試合で9得点を決めて年間MVPに輝き、初の代表招集もその年。チームも無敗でリーグ優勝した。」
海外挑戦、その挫折と復活
スウェーデンへ
オルンガ「実は2015年シーズンの途中から、スウェーデン1部リーグに所属するユールゴーデンのスカウトが、僕のプーをチェックしてくれていた。」
「シーズン後に受けたトライアルで合格し、4年契約。でも、初の海外は本当に大変だった。冬の時期にマイナス5度にもなる気候は未経験ですから生活するのも難しく、プレーも上手くいかない。試合に出られなくて得点も0で、約半年を棒に振って悔しかった」
ただし、2015年3月28日にはケニア代表デビューは飾っています。なお、現在の柏での背番号14は、ケニア代表での番号を引き継いだものです。
やっと活躍
さて、それでも辛抱強くトレーニングを続け、異国の地にも慣れ始めると、2016年8月8日、ヨーテボリ戦でようやく初ゴール。するとそこから怒涛の勢いでゴールを重ねました。
オルンガ「結果的に2016年はチームトップの2ゴールを決めて、良いシーズンだった。その後は、僕の活躍を見てくれた中国の貴州智誠から、当時(ユールゴーデンとしては) クラブ最高額のオファーを受けて、チームにお金を残すためにも移籍した」
夢のラ・リーガへ
あのバルサやレアルと!
しかし、中国では9試合・2得点と成績が振るわず、2017年9月にスペインのジローナへレンタル移籍します。
オルンガ「世界最高峰のリーグであるラ・リーガでのプレーは、自分のキャリアのなかで最も重要な経験だった。子どもの頃から憧れているバルサ(バルセロナ)やレアル(・マドリー)と対戦できるなんて、夢のようだったし、今でも満足している」
🇪🇸での最も強い思い出
スペインで最も記憶に残っているのは2018年1月3日、後半途中から出場したラス・パルマス戦だそうです。
オルンガ「ハットトリックできて、今でもあの喜びを覚えている。ラ・リーガでケニア人として初の得点を記録できたのは誇りだね」
🇪🇸で学んだこと
そしてスペインでの経験について、
オルンガ「スター選手と試合をできて幸せだったし、学べることはすごく多かった」と振り返っています。
日本、Jリーグへ
日本に来た理由
2018年8月10日に当時J1柏レイソル(2019年はJ2優勝)へ完全移籍。なぜ、当時、日本からのオファーを受け入れたのでしょうか?
オルンガ「実は最初にオファーを受けた時、柏レイソルを全然知らなくて。でも、色々と調べていたら、日本では伝統と知名度があるチームだと分かって、素晴らしいチャレンジになると思ったんだ。」
「(アンドレス・)イニエスタ(神戸)や (フェルナンド・)トーレス (当時は鳥栖)もJリーグに参戦して盛り上がっていたし、決断までに時間はかからなかった」
日本の初印象
オルンガ「最初はカルチャーショックもあって………。異国の新しい環境に難しさを感じていた」
しかしその後、挨拶など簡単な日本語から学んでいき、慣れていったそうです。
愛称「ミカ」で、チームメイトからは「真面目」と評されています。
ストライカーとしての信念
身長だけではゴールできない!
オルンガ「先手を取れるかどうか。リアクションのスピードと質を大事にしている。もちろん、身体能力は武器だけど、そればかりに頼ることなく、いかにボールに早く反応できるかを常に意識している」
憧れの選手
子どもの頃から憧れのサッカー選手は元オランダ代表のファン・ペルシーで、同じ左利きとして参考にしているそうです。
私生活
妻グレース
オルンガはグレースとInstagramを通じて幸せな姿を見せてくれています。
2人の出会いは、2016年12月で、グレースの誕生日を祝う席だったそうです。
尊敬する人物はネルソン・マンデラ
オルンガは、ケニアで最も成功しているフットボーラー(2020年の推定年俸9000万円)です。オルンガ自身は、そのことを自覚して、ケニアでは社会への還元にも非常に情熱を傾けています。
すなわち貧しい子どもたちが自分の夢を実現できるようにサッカーアカデミーを設立したいと考えています。
そのような事前活動への意志、オルンガがロールモデルとしているのは、ネルソン・マンデラです。オルンガは彼を尊敬してやみません。
参考:『2020J1&J2&J3選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、サッカーダイジェストNo.1442など