円筒形のコーン菓子「うまい棒」は、2019年に誕生から40周年を迎え、2020年は41年目に入り、ますますロングセラーとして食べられ続けています。
駄菓子・スナック類の低迷
現在の製菓業界、ことに駄菓子やスナック類の低迷は著しいものがあります。
カールの販売停止
「カール」(1968年発売、明治)が2017年、東日本での販売を停止すると発表したことは記憶に新しいですね。その主な理由は、売り上げの低迷です。
菓子小売店の減少
「商業統計表」(経済産業省)によれば、菓子小売業(製造小売りでないもの)の事業所数は、1972年に3万6712カ所を数えたものの、徐々に減少し1991年には6万9048カ所にまで半減。最新の統計(2016年)では1万5746カ所にまで落ち込んでいます。
駄菓子の宿命
駄菓子の起源
そもそも駄菓子は、庶民の強い味方でした。
江戸時代、白砂糖は上流階級が独占していました。庶民には砂糖で作られた「上菓子」などとても手が届かず、黒砂糖で菓子を作り「雑菓子」と呼びました。
白砂糖で生成された上品な菓子に相対する「雑」なお菓子が、駄菓子の前身です。
安くておいしい半面、その商売は「薄利多売」です。そのために駄菓子屋の経営は非常に厳しい状況にあります。
駄菓子屋の社会的な役割
駄菓子屋は単に菓子を買える場所ではなく、子どもたちが自分のお小遣いの中で計算をし、店の人に『ください」と発話する、教育の場でもあります。
うまい棒誕生
さて、その駄菓子界のロングセラーとして、長年変わらずに受け継がれてきたのが、うまい棒です。
うまい棒の生みの親「株式会社やおきん」(本社:東京都墨田区)は、正社員数はわずか30人ほど。
うまい棒のほか、キャベツ太郎、蒲焼さん太郎など、日本で育ち暮らしてきた人々ならば、一度は口にしたことのある駄菓子の大ヒット作を世に送り出してきました。
年間7億本!
2018年の1年間でうまい棒を製造・出荷した本数は、7億本以上。1人当たりの消費量年間7本という計算になります。
やおきんの社風
駄菓子の企画・販売を生業とする同社において一つのアイデアが商品化されるまでのプロセスは、いっぷう変わっています。
やおきんでは、部署に関係なく、商品の味やコンセプトについて提案することもできます。
そうした意味では、社員全員が企画・営業を担っていると言えるかもしれません。
また、工場で作られていく過程で当初描いていた味と違ってきたとしても、それが『おいしい、面白い」と感じられるものであれば、思い切ってそっちに舵を切ったりもするそうです。
設計図にとらわれず、消費者のおいしい、面白い。に向かっていこうとする遊び心に満ちた社風なのです。
10円の誇り
うまい棒は、頑なに10円をり続けています。そして発売当初と今を比較すると、増量しています。
それに比べて、例えばカルビーのポテトチップスなんて、年々減量されていっているイメージですよね。
うまい棒は、全国流通のために輸送費もかかるのに、値段も質も量も落としていません。
うまえもん
ずっと名前はなかった
うまい棒が根強い人気を誇る理由について、味や値段、多種類展開のほかに、キャラクター(うまい棒のロゴマーク)を大切にしてきたのも理由の一つでしょう。
パッケージに必ず描かれている二頭身のキャラクターのことだ。愛称は「うまえもん」です。
生い立ちは、思いのほか複雑です。実はうまえもんには、2017年まで正式名称がありませんでした。
「1978年9月3日生まれ・乙女座」という詳細な個人情報はあったものの、名前はまだなかったのです。そもそも公式のプロフィールには「異星人」と書かれているのです。
そしてこれは社の方針だったらしいのです。
以前は全国のファンの方々に「うまえもん」「うまい棒くん」「うまいぼうや」など好き好きに呼んで親しんでもらっていました。
実際、ファンからの問い合わせにも「正式名称はまだ決まっていません」とお伝えしていたそうです。
命名されたきっかけ
実は、2017年に彼の妹のうまみちゃんがウマイアミ州から帰国する運びになりました。
発売35周年を記念して2014年に公式テーマソング「うまさボーボー」がリリースされたのをうけて、妹がお手伝いに来たんです。
それなのにお兄ちゃんの名前がないとしっくりこないため、最も馴染みのあった「うまえもん」で統一したのだそうです。
参考:サンデー毎日2019.8.11号など