関平(かんぺい)、偉大な父である関羽を補佐する養子【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の関平

蜀の将。関羽の養子。

河北の国境に住む関定の次男が、武芸の腕を見こまれて関羽の養子となったもの。

18歳のときに、劉備の仲立ちで関羽の養子となったのである。

新野に夏侯惇が攻めよせた時には、劉備の養子劉封とともに諸葛亮の計に従って動き、勝利をおさめた。以後も劉封とふたりして戦いに臨む場面がしばしばある。

益州攻略の際、劉封とともに中軍をつとめたが、荊州にいる諸葛亮を呼びよせるための使者に立ち、以後は養父の関羽とともに荊州の守りについた。

関羽の片腕として側を離れず、襄陽を攻略し、樊城を攻める。

樊城攻略では副将として父に従う。出陣前夜、関羽は黒豚に足を噛まれる夢を見る。それを聞いた関平は、竜の象徴の豚が足に付くのは天に昇る意味で吉兆だと解く。

迎撃に出た敵将を一刀で討ち取り奨城を包囲し、救援に来た魏将龐徳と一騎討ちをするが勝負がつかなかった。

ところが、魏と結んだ呉が、背後を衝いて、荊州に侵攻したため戦況は一変し、関羽の軍は孤立し、麦城に立て龍もる。

樊城で負傷した関羽を、関平は気づかう。麦城で身動きできなくなり、関平は呉の使者として来た諸葛瑾を斬ろうとしたが、関羽に止められた。

援軍の来ない麦城から、一行は蜀へと脱出を計った。途中で呉将の潘璋の部下・馬忠に捕らえられ、関羽ともども首をはねられた。

死後、関羽とともに玉泉山に関平の亡霊が出た。

正史の関平

関羽の子。関羽とともに捕らえられ、斬られたとのみある。

タイトルとURLをコピーしました