もくじ
漫画キングダムの蒙武
秦軍最強の猛将。
蒙驚を父に持ち、中華最強を自負する大将軍で、王騎からは秦国軍の顔になる存在と言われた。
秦の六将を復活させたいと考えており、政に進言したことがある。
長らく呂不韋四柱のひとりであったが、呂氏が退いた今はその関係性が薄れている。
力押しで敵を潰すスタイルを貫いてきた蒙武だが、合従軍戦では昌平君の策を取り入れ楚の汗明軍と激突。
最後は一騎打ちの末に汗明を討ち取り、さらに撤退した合従軍の背を追撃した。
史実の蒙武
蒙武は蒙驁(もうごう)の子。
斉を討つ?
「秦本紀」にある昭王22年に「蒙武が斉を討った」というのが『史記』での初出である。
それ以前の経歴は定かでないが、昭王22年といえば斉に対して燕・趙・韓・魏・秦の5カ国が合縦をくみ、共同出兵を行った年。
蒙武が秦軍の主将として派遣されたのだとすれば、それまでに十分な実績を重ねていたと見るのが妥当だろう。
秦王・政の時代における活躍
どういうわけか、その記事からしばらく蒙武の名は 『史記』に登場せず、次に見られるのは「始皇本紀」の秦王政24年のこと。
王と蒙武が荊を攻め、荊軍を破ったとあるのがそれで、荊とは楚の別名である。
だが、昭王22年と政24年との間には60年もの開きがある。昭王22年の記事に誤りがあると考えたほうがよいかもしれない。斉攻めに派遣されたのは蒙武ではなく父の蒙鷲であったということであれば年齢上の辻棲も合う。
参考:『キングダム公式ガイドブック覇道列紀』集英社、双葉社スーパームック『春秋戦国の英傑たち』など