黄忠 こうちゅう、関羽・張飛・趙雲・馬超と並ぶ五虎将軍の老将【三国志 演義と正史の比較】




三国志

南陽郡の人。劉表のもとで中郎将となる。劉表の甥の劉磐とともに、長沙の攸県を守護した。

劉表の死後、劉琮が曹操に降伏すると、神将軍となり、長沙太守の韓玄配下に置かれた。

弓の名手で、百発百中の腕を誇る。

演義の黄忠

荊州を手に入れたあと、孔明は、関羽に長沙の韓玄を攻めるよう命じた。

この時関羽に立ち向かったのが、六十歳を越えた老将、黄忠だった。

緒戦では、互いに百合打ち合っても勝負がつかず、いったん兵を返す。

二戦目で、黄忠の乗った馬が、つまずいたため落馬。だが関羽は、「馬を換えて出直してこい」と、攻撃してこない。

これに感じ入った黄忠は、翌日、わざと関羽の兜のつけ根を狙って矢を射て、恩を返した。

だが、その行為が韓玄に疑われ、捕らえられて処刑されそうになる。そこを魏延に救われる。

韓玄が魏延に殺され、長沙が劉備の手に落ちると、病気と称して屋敷に引きこもった。

劉備じきじきの説得を受け、ようやく帰順を承諾。

蜀討伐では先鋒をつとめ 老将ならではの、渋い攻めを見せる。

漢中における戦いでは、定軍山の上に陣取って出てこない夏候淵を誘い出すため、法正の策に従い、向かいの山頂を奪い、討って出てきた夏候淵を薙刀で真っぷたつに斬り殺した。

劉備が漢中王になると、五虎将のひとりとなる。

関羽の敵討ちのため、劉備が呉へ進攻した際は、武威後将軍として従う。

「昔から従ってきた将は、みな老いて役に立たない」という劉備のつぶやきに憤然とし、勝手に討って出ると、呉将・史蹟を斬り、さらに、潘璋を追って行く。

だが、待ちうけた凌統の軍に包囲され、馬忠に肩を射られてしまう。

絶体絶命のこのとき、若い関興、張苞のふたりに救われ、陣に戻る。

見舞いにきた劉備は、黄忠の背を撫でながら「私の罪だ」と詫びるが、「七十五まで生きれば、もはや満足です。どうか殿、中原をお取り下さい」といい残し、息を引き取った。

正史の黄忠

荊州が劉備の手に落ちると、これに降伏。

劉備に従って蜀討伐に向かった。老将ながら、その勇敢さは三軍の筆頭に数えられ、劉備の成都入城後、討虜将軍に任命された。

定軍山の戦いで、夏侯淵を斬る。この功で征西将軍に昇進した。

劉備が漢中王となったとき、後将軍、関内侯となる。

新参の降将の黄忠が、関羽、張飛、馬超らと同列なのを、離れた荊州にいる関羽が納得しないだろうと孔明は懸念する。

だが劉備は自分で関羽を説得するといって、押し通した。しかし、実際に関羽を説得したのは、荊州へ使者に派遣された費禕だった。その翌年、死亡。剛侯と諡された。

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