顧雍 こよう、呉の孫権を支えた丞相。陸遜を高く評価【三国志 演義と正史の比較】




三国志

呉の丞相。呉郡呉県の人。

演義の顧雍

会稽太守張紘の推挙で孫権に仕えた。

赤壁の戦い前夜、開戦の説得者諸葛亮を前に、張昭と共に開戦反対派として周瑜を説得したが無駄に終わった。

劉備より荊州を奪わんと張昭と孫権に数々の進言をした。

ようやく呂蒙の働きで荊州を取った頃、曹操より呉王の位を下すと聞いて「魏の爵位など受けずともよい」と諌めた。

呂蒙の後任陸遜には、当初若すぎると懸念していたが、彼の才能を知ると信頼を寄せて総大将に推挙した。

のち孫権が帝位につくと丞相に任命された。

正史の顧雍

会稽太守となった孫権に郡の丞に任じられ実際には太守の仕事の代行を行なった。

郡内の反乱を収め、役人も民衆も彼に心服した。

孫権に呼び戻され左司馬になった。のち尚書令、陽遂郷侯に封ぜられた。

寡黙な性格で昇進についても、家族にさえいわなかったという。

実直で慎み深く、また酒も飲まず自分の感情に左右されない判断力を持っていた。

そのため丞相を置くとき百官が張昭を推すなか、孫権だけが顧雍を任命した。

のちに勝手に権限を振りかざした呂壱に他の重臣たちと共に讒言されたがその罪状を取り調べる際も和やかに接したという。

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