蜀って絶望的?!魏呉蜀の国力比較 三国志時代の人口は?衣食住は?




三国志

魏の国力

【人口】 約430〜450万人(260年)三国の中で最大で、当時は華北に集中した人口分布の恩恵。
気候 四季が明確。異常気象が頻発。
【衣】 夏は半袖、冬は厚着
【食】 小麦や雑穀の粉食、ヨーグルトも
【住】 泥かレンガ造り
【経済力】 呉や蜀を圧倒。後漢末は相次ぐ自然災害や戦乱で多くの土地が荒廃した。破壊や殺戮といった人災との相乗作用で、人口の実に9割が失われたという説も。曹操は兵糧確保のためにいち早く屯田制を導入。兵士や流民に田地を耕作させ、生産物を地代としてとる土地政策によって国を回復させた。

呉の国力

【人口】 約230万人(280年)将兵23万人・官吏3万人2千人
大部分数メートルの巨木が生い茂るジャングルや、水路が入り組んだ低湿地たいで人影はまばらであった。兵隊不足を補うため台湾に兵隊狩りに。また山岳地帯にはベトナム系の少数民族が割拠。
【気候】 温暖多湿、年間を通じて降水量が多い。また呉は毎年、水害や干ばつなどの天災に襲われていた。特に孫呉政権は治水に悩まされていた。
【衣】 不明
【食】 主食は米を蒸したものか粥、海産物も
【住】 夏は屋内が暑いので外で睡眠も
【経済力】 魏が支配した中原に比べ、呉の華南は、開発が遅れた地域。

蜀の国力

【人口】 約94万人(263年)将兵は10万2千人・官吏4万人
人口密度が低く、現在の雲南省なあたる地域はタイ系ビルマ系チベット系の異民族の世界。
【気候】 標高差が大きく寒暖差が激しい
【衣】 重ね着が一般的
【食】 主食は米を蒸したものか粥、従軍時は乾飯を携帯
【住】 不明
以上、魏呉蜀の国としての比較でした。なお、人口は老人や子供は含まれていないデータになるかと思われます。
参考:「pen」No.478 2019.8/1など
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