戦国時代といえば戦いの時代ですよね。実際にはどのような兵がいて、どのような武器で戦っていたのでしょうか。
春秋戦国時代の兵種
まず兵種については歩兵、弓兵、騎兵、そして戦車兵がありました。
大半の兵士は鎧をまとわずに戦っていました。
戦車兵の盛衰
春秋時代から戦国時代初期にかけては戦車に乗って戦う戦車兵が重視されていました。
しかし、戦国時代中期に馬上で弓を射る騎射戦術を駆使する騎兵が現われると、戦車の地位が低下していきました。
主要な武器
矛(ほこ)と弩(読み方は「ど」「いしゆみ」「おおゆみ」)でした。春秋時代は青銅製、戦国時代は鉄製の武器でした。
そして兵種としては、戦国時代の戦いの主流は飛信隊のような歩兵でした。
矛と戟
彼らの主要武器は長柄の矛(ほこ)と戟(げき)。
矛
二〜三メートルほどの柄の先端に鋭い短剣のような刃を取りつけたものが矛。
(矛と槍はその構造によって異なるものですが、同じとみなしてよいという資料もあったので、そのように考えると、)
槍といえば、キングダムでは秦の王賁や、魏最強の槍の使い手〝魏火龍七師〟の一人・紫伯(しはく)が思い出されますね。
戟
矛と同程度の長さの柄に縦向きと横向きふたつの刃をつけた武器が戟です。
春秋時代までは銅と錫(すず)の合金である青銅製の刃が使われていましたが、戦国時代に鉄が普及すると兵士全員が鉄製の武器を手にすることができるようになりました。
弓と弩
弓
飛び道具としては弓が用いられていましたが、腕力で引くため、あまり遠くへは飛ばず、個人の能力によって飛距離にバラつきがありました。
キングダムで弓の名手と言えば、魏の廉頗四天王の一人・姜燕(きょうえん)ですね。鏑矢で軍を操りますが、山陽で王翦に敗れ、廉頗とともに楚に亡命しました。
中華十弓の一人・趙の魏加(ぎか)も印象深いですね。王騎と龐煖の一騎討ちでは間接的に王騎を死に追いやりました。
楚の白麗(はくれい)は最年少の中華十弓です。自称3位でしたね。
さて、弓が主流でしたが、戦国時代になると弩(ど、いしゆみ、おおゆみ)が発明され、弓に比べて威力と飛距離が格段に増しました。
信の剣は実は非主流の武器
剣もあったが、基本的に近接戦での使用に限られ、将校が指揮用に用いたものの、武器の主流になることはありませんでした。
兵馬俑は上級兵士
戦国時代の歩兵というと、兵馬俑(へいばよう)によって伝わる秦代の鎧をまとった歩兵がよくしられていますが、鎧をまとっているのは上級兵士です。
大半は鎧は着ない軽装歩兵
鎧をまとってあたのは、重装歩兵と指揮官に限られました。
鎧は、将軍が革製、騎兵等が青銅製で、いずれも革のひもをつづり合わせてつくられ、動きやすく軽いのが特徴でした。
それ以外の下級兵士は丈の長い服の戦袍(せんぽう)を着ているだけで鎧を着用しない軽装歩兵でした。
つまり大半の歩兵は鎧もまとわずに戦っていたのです。
参考:双葉社スーパームック『春秋戦国の英傑たち』、『始皇帝と戦国時代』KAWADE夢文庫など