【三国志 正史と演義の比較】韋昭(いしょう)、司馬遷とも比肩される、呉書を編纂した有能な史官!【史実との違い】




三国志

演義の韋昭

記述なし。

正史の韋昭

字は弘嗣。呉郡雲陽(曲阿)の人。

丞相府を振り出しに西安の県令、尚書郎などを歴任。最後は太史令に進むなど昇進を重ねました。

本名は韋昭ですが、晋の文帝・司馬昭のいみ名をはばかって史官が「韋曜」と名づけたため『呉書』には、この名で記載されています。

太史令に昇ると同時にさ薛瑩(せつえい)、華覈(かかく)らとともに『呉書』の編纂を命じられ、その中心人物となりました

特に華覈とは親交篤く、韋昭が融通のきかない生真面目な性格であったためか、暴君・孫酷の怒りを買って殺される際、華覈は最後まで助命嘆願を行なって救おうとしました。

文官としては相当有能な人材であったら しく、才能を遺憾なく発揮し、漢における司馬遷と比肩される存在として後世に伝わっています。

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