演義の于詮
呉の将軍。司馬昭に対抗して軍を起こした諸葛誕と共闘すべく、 呉から派遣された将軍のひとり。
朱異に城の内外呼応して魏軍をやぶるように進言し、自らは城内に入り、諸葛誕を援護しました。しかし、城外の呉軍は大敗。
魏の将・王基から降伏を勧めらます。しかし干詮は、
「大丈夫(だいじょうふ 立派な男)が加勢の役目も果たせずに降参などできるか!戦死するのは本望である」と受け入れず、乱軍の中に斬り込みました。千詮は節義を守って潔く戦死したのです。
正史の于詮
正史では、敗れた諸葛誕の兵たちは、降伏勧告を受け入れず、全員斬り殺されました。
于詮もまた「主君より(諸葛誕)を救うべしと兵を預かりながら、敵に敗れ、その上、自らを縛って降伏するなど、わしのとるべき道ではない」といい放ち、敵陣に突撃して斬り死にしました。