賀斉(がせい)、孫策・孫権に仕え威容を誇った豪将【三国志 演義と正史の比較】




三国志

字は公苗。会稽郡の山陰の人。

演義の賀斉

記述なし。つまり『演義』には登場しない。

正史の賀斉

正史によれば山越の反徒たちを討伐するのに功を挙げた呉の武将であったという。

その勇名は反徒・蛮族の間に轟いていた。刃を封じる呪術を使う反徒たちを根棒で打ち殺して平定したという逸話が知られている。

豪快な人柄で、華美な服飾を好んだらしく、それは軍事面にも発揮されていた。

精織にして豪華な武器甲胃で全身を覆い、彫刻や色彩を配した船や青い蓋に赤い天幕、花模様を色鮮やかにあしらった盾や犬が戦場でもひときわ目を惹いたという。

若い頃、異民族の山越と結託して暴れる斯従という悪党を退治したのが縁で、逆に山越族の尊崇を集めた。

若くして県長官の代理を務めた。 孫策が台頭して会稽の太守となると登用され、永寧県の長官になり、さらに南部都尉に任じられて兵を率い、領地の治安を保った。

孫策死後は孫権に仕え、新都郡の太守に加え、偏将軍の位を賜わった。民衆の反乱鎮圧や、郡県の統合。分割に功があった。始新県や新都郡は、賀斉の具申から成立したものである。

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