関索(かんさく)、諸葛亮の南征で活躍し孟獲帰順にも活躍した関羽の三男【三国志 演義と正史の比較】




三国志

関羽の三男とされる蜀の猛将。

諸葛亮の南征では王平とともに主力を担い、張翼、張疑を捕らえて臣従させた。

しかし正史に登場せず、南征以降は演義からも忽然と消えるため、架空の人物とされる。

近年上海で明時代の物語『花関索伝』が発見され、研究対象として注目されているという。

演義の関索

荊州が陥落し父・関羽が呉に捕らえられた時は、鮑家の荘園に隠れて傷を癒していた。

南征の開始直前、物語に登場。

劉備亡き後は諸葛亮の南蛮征伐に参加、先鋒に任ぜられている。前述の通り、このときは諸葛亮の指令によって張翼・張疑を捕らえる手助けをした。

さらに南蛮王・孟獲を捕らえるべく、王平とともに孟獲と戦ってわざと負け続けた。憲水に陣を布いたときには諸葛亮の指示で草の屋根を作り、南方の暑さから兵たちの身を守っている。

この南蛮行で諸葛亮は孟獲を幾度となく捕らえては釈放しているが、関索もまた、秘密の命令を受けて諸部族の西長たちを捕らえるのに功を示した。

つまり諸葛亮の七縦七擒の計では、孟獲の帰順に尽力したのである。

正史の関索

記述なし。

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