呂布の騎将で戦功豊富だが、罰を受けて曹操に寝返った。
演義の侯成
呂布につき従った数少ない将。
漢陽で曹操と戦った時には、罠に落ちた
曹操が漢陽の城門前に現われたチャンスを衝いて、一気に出撃。
曹操を討とうとしたが、惜しくも典韋に阻まれる。
その後、曹性とともに兵糧を調達に出たが、その間に呂布が僕陽を失ってしまったので、あわててあとを追いかけていった。
以後、追い詰められながらも転戦する呂布に従う。
戦局が悪化し支配地が下邳城だけになると、呂布は軍規をひきしめるため禁酒令を出した。
この数日後、侯成の馬が盗まれたが、これを取り返すことができたため、部下と祝宴をあげようということになった。
しかし呂布は大激怒し、侯成は鞭打ち刑に処されてしまった。
侯成はこれを深く恨み、同情した宋憲、
魏続とともに出奔を決意、赤兎馬を手土産がわりに盗んで曹操に投降してしまった。
正史の侯成
降伏の際、呂布の軍師の陳宮を捕らえて差し出した。