なぜ関羽は「英雄」そして「神」にされたのか?その決定的な2つの理由




三国志

羅貫中の小説『三国志演義』において、関羽雲長観は、諸葛孔明や劉備、曹操、孫権などと比べても、非常に高い位置づけですね。特に「神」にもなり、後世への影響が大きいですね。関羽には大活躍する様々な名場面が用意されています。三国志演義とは関羽を顕彰するためのストーリーであるという見方さえあります。

『三国志演義』では、なぜ関羽があれほどまでに重要な役割を担っているのでしょうか?
それは2つの理由があると思います。

同郷人としての関羽

羅貫中という人は謎の多い人物で、出自(どこで生まれてどこで育ったのか)には、いくつか異なる説があります。

その中の有力な説として山西省出身、つまり関羽と同郷であるとい説があります。関羽は、山西省の南、黄河沿いに位置する解良県という所の出身です。羅漢中もこの辺の出身者であった。ですからある意味では同郷人の検証と言う側面があったのではないか、と言う説があります。

同郷人を顕彰するという事は中国では昔から行われてきたようです。同郷人には特別の親しみを感じるという事は今でもあると思いますが、中国では土地の縁、つまり地縁の結びつきが強いようです。羅漢中は意図的に同郷人である関羽を祭り上げていったということになります。

「神」になった理由

関羽が「英雄」になっていったもう1つの理由も、前述の「山西省解良県」が重要な要素になってきます

実は山西省解良県は、陸塩の産地として有名なところなのです。塩の山が延々と続き、場所によっては、あたり一面が白い湖のようになっているところ(解池という塩湖)もあり、豊富な陸塩が採取できるところだったのです。

 

これは余談ですが、関羽の故郷が塩の産地であった事で、また名前を変えている(元々の字は庶民らしい「長生」)ことから、関羽は「塩の密売人だった」「塩に絡んで人を切った」などの推測がされてもいます。関羽が人殺しなどをして官憲から追われていたならば、彼は侠客や博徒の類であったろうと推測されます。

さて、塩は人間が生きていく上で必要不可欠なもので、塩が出ると言うことから山西省南部は古来軍事上の要衝でもあったようです。中国は海岸線が少なく内陸に大きく入っていますので、塩が取れる場所は非常に貴重だったのです。

陸塩が取れるという事は、そこから全国に向けて塩を運ぶ、いわゆる塩の道ができます。山西省から多くの行商人が出て、塩を各地に運んで商売をしたと言われています。商人が地方に行商に行く場合、異国同然ですから、非常な危険を伴います。そこで守護神として誰かにも守ってもらいたくなります。そこで登場するのが関羽です。関羽に忠誠を尽くすのが、商人の日ごろの教訓として崇められていました。関羽と言う存在が1つのお手本となって商人の精神的支柱となっとのです。

関羽は、製塩業が盛んな土地の出身で、製塩業者の用心棒を務めていたという説もあります。なぜ用心棒が必要なのでしょうか?塩の売買は官営事業とされており、どの時代でも闇商人が密売をしていました。時代を経るとともに関羽の神格化の度がすすんだのは、彼ら闇商人が大製塩地を郷里とする英雄を自分たちの守り神として信仰するようになったのです。

各地に塩を運んでいった商人が、別の土地に移り住んで、それまで自分を守ってくれた関羽に感謝して、その霊力を顕彰する意味で関帝廟を立てたのです。こうして関羽は「神」になったのです。

以上、「なぜ関羽は『英雄」そして『神』にされたのか?小説『三国志演義』の裏事情」でした。
参考:『三国志への道標』関西大学出版部、『三国志群雄録 増補改訂版』徳間文庫カレッジ、『新説!三国志』枻出版社

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