東郡の人。
演義の陳宮
董卓暗殺に失敗して逃亡途中の、曹操を捕まえる役人として登場する。
この時、曹操の「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を」という言葉に感銘を受けて、共に逃走した。
ところが世話になった曹操の父親の友人・呂伯奢を曹操が殺したころから疑念をおぼえ、曹操のもとを離れてしまう。
曹操の徐州侵攻の時には曹操のもとを訪れてやめるよう訴えるが、聞き入れてもらえなかった。
それから張邈をそそのかして呂布と疑州を襲い、その後は呂布と行動を共にする。
ところが、呂布は肝心なところで陳宮の進言を容れず、曹操に敗れてしまう。
陳宮も曹操に生け捕りにされた。
呂布とともに捕らえられ、曹操の前に引き立てられると「何も思い残すことはない」と刑場へおりていく。
曹操は処刑をためらったが、陳宮は振り向きもしなかった。
曹操が「陳宮の老母と妻子を保護せよ」と命令を下すのを聞きながら、沈黙のままに斬首される。潔い最期だった。
正史の陳宮
剛直にして気迫のある人物。
曹操配下の武将だったが、張邈と謀反を起こし、呂布を迎えいれた。
陳宮の最期は演義の記述とほぼ同じである。