張嶷 ちょうぎょく、諸葛亮の北伐・南征の功労者【三国志 演義と正史の比較】




三国志

演義の張嶷

諸葛亮の南蛮討伐に従い、張翼とともに董荼那、阿会喃を捕らえる。

孟獲の妻の祝融夫人に捕まるが、後に人質交換で救い出される。

諸葛亮の北伐に従軍。たびたび魏軍に勝利した。

諸葛亮の死後、段谷で魏将の鄧艾に包囲された姜維を救出するが、自身は矢を浴びて戦死。

正史の張嶷

巴郡南充県の人。二十歳の時、県の功曹となる。

この時、県を山賊が襲った。県長は家族を見捨てて逃げたが、彼は県長夫人を背負って救出。これで名をあげ、州の従事になる。

広漢、綿竹の山賊、張慕が軍資を略奪したとき、彼は和睦すると偽って張慕らを酒宴に呼び出し、五十人の首を斬って一掃した。

牙門将軍に任命され、反乱した羌族を討伐。また、越濤郡を平定、関内侯となる。

南方平定に功があり昇進。歩くこともできない重病だったが、姜維に従い魏の徐質と戦い、戦死する。

正史によれば、南方平定の功労者で、諸葛亮の南征のモデルだったようだが、『演義』では英雄の影に隠れてしまった。

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