張松 ちょうしょう、劉備を蜀に招き入れた野心家【三国志 演義と正史の比較】




三国志

益州の劉璋配下。

演義の張松

字は永年。成都の人で益州の別駕(補佐官)。

鼻は平たく反っ歯で、身の丈は5尺に満たず、しかも大きなダミ声の持ち主。

常々、仲の良い法正と、劉璋の器量のなさを嘆いていた。

漢中の張魯におびえる劉璋に、曹操を頼るよう進言。その使者となる。曹操を益州の主にしようと考えてのことだったが、曹操は彼の外見を見て馬鹿にし、棒で打ちすえて追い出してしまう。

帰路、劉備に暖かく迎え入れられた張松は、感激して西川の地図を差し出し、「蜀を取れ」といい残して去る。

帰国後、劉璋に、曹操と絶交し、劉備と手を組めと進言。容れられる。

やがて益州にやってきた劉備に、「会談の席で劉璋を殺せ」と勧めるが、これは聞き入れられなかった。

荊州に戻るという劉備の策を本気にし、慌てて「内応するから兵を西川へ送れ」と手紙を書いた。しかし、兄の張粛と酒を飲むうち、その手紙を袖から落とし、訴えられて、一族皆殺しにされた。

正史の張松

益州の地図は、張松が、劉備の目の前で描いてみせた。

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