三国志

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張任 ちょうじん、龐統を射殺した忠臣【三国志 演義と正史の比較】

蜀郡の人。劉璋配下の武将。 演義の張任劉備を益州に招き入れることに反対。劉璋が劉備と会った時、 暗殺命令を受けて剣舞を舞う魏延の前に立ちはだかり、劉璋を守った。 落鳳坡において、白馬に乗った龐統を、劉備と思って射殺させる。 だが、快進...
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張昭 ちょうしょう、呉の重臣で非戦の戦略家【三国志 演義と正史の比較】

演義の張昭張紘とともに「二張」と称された。 周瑜の推薦で、自ら招聘にやってきた孫策に仕える。 孫策の死後は孫権に仕えるが、その進言は、どちらかというと非戦主義。 黄祖討伐の時も、赤壁の戦いの時も、開戦には反対した。 後に、孫権に帝位...
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張松 ちょうしょう、劉備を蜀に招き入れた野心家【三国志 演義と正史の比較】

益州の劉璋配下。 演義の張松字は永年。成都の人で益州の別駕(補佐官)。 鼻は平たく反っ歯で、身の丈は5尺に満たず、しかも大きなダミ声の持ち主。 常々、仲の良い法正と、劉璋の器量のなさを嘆いていた。 漢中の張魯におびえる劉璋に、曹操を頼...
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張郃 ちょうこう、司馬懿の信頼があつかった血の気の多い戦好きの魏将【三国志 演義と正史の比較】

河間郡鄭県の人。 演義の張郃袁紹配下の武将。官渡の戦いの時、烏巣を守る淳于瓊に援軍を送るべきだと進言。 しかし、郭図の「手薄になった曹操陣営を襲うべき」という案により高覧とともに曹操軍を攻めた。 だが、この策は失敗。 袁紹に非難される...
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張紘 ちょうこう、孫策・孫権配下の慎重派【三国志 演義と正史の比較】

広陵の人。孫権の参謀。張昭と共に「二張」と称された。孫策に対し「総大将が戦の最前線に立つべきではない」と諫めている。 孫策の命で許都へ使者に立つが、侍御史に任命され、そのまま留め置かれた。 孫策の死後、孫権を攻めようとした曹操を諫め、出...
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張嶷 ちょうぎょく、諸葛亮の北伐・南征の功労者【三国志 演義と正史の比較】

演義の張嶷 諸葛亮の南蛮討伐に従い、張翼とともに董荼那、阿会喃を捕らえる。 孟獲の妻の祝融夫人に捕まるが、後に人質交換で救い出される。 諸葛亮の北伐に従軍。たびたび魏軍に勝利した。 諸葛亮の死後、段谷で魏将の鄧艾に包囲された姜維を救出...
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スールシャール監督、マンチェスター・ユナイテッドにおけるブルーノ・フェルナンデスの影響力を称賛!

マンチェスター・ユナイテッドのスールシャール監督がブルーノ・フェルナンデスの影響力について言及している、特にアントニー・マーシャルとの良い関係について期待している記事をみつけたので、翻訳/意訳しておきます。 ブルーノ・フェルナンデスの...
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太史慈 たいしじ、孫策に忠節を尽くした勇将【三国志 演義と正史の比較】

東莱郡黄県の人。 演義の太史慈孫策が曲阿の劉繇を攻めたとき、神亭で一騎討ちをする。孫策と五分に戦うが、両軍の援軍が駆けつけたため、戦いは中断された。その後、劉繇軍は孫策軍に大敗。 太史慈は敵討ちとばかりに、城に立て籠る。だが、太史慈に惚れ...
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孫乾 そんけん、劉備の下の有能な部下で、諸葛亮も重用【三国志 演義と正史の比較】

字は公祐。北海郡の人。劉備の部下。 演義の孫乾陶謙が死に際し、劉備に推薦した。 諸葛亮が加わるまで、糜竺と並ぶ劉備の参謀であった。 今日は曹操のもとへ、明日は袁紹のもとへと流れ歩く劉備の ため、そのたびに使者となり、うまく相手に劉備を...
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沮授 そじゅ、袁紹への忠義を貫く【三国志 演義と正史の比較】

袁紹の参謀。広平の人。 袁紹が冀州を奪うと、田豊、逢紀らとともに行政を担った。 曹操との戦いで幾度も戦術や戦略について正しい方策を袁紹に進言するが聞き入れられなかった。 袁紹が大敗した後に曹操の捕虜になって投降を勧められるがこれを拒否...
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曹丕 そうひ、魏朝初代の皇帝となる【三国志 演義と正史の比較】

魏の文帝。曹操の次子。曹操の息子で、曹昴が早世したため実質上の嫡男となる。
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臧覇 ぞうは、山賊から呂布の配下そして曹操の配下で活躍【三国志 演義と正史の比較】

泰山郡華県の人。呂布の配下から魏の将に。 山賊など徒党を引き連れて呂布に味方した。 下邳城の攻防で曹操軍と戦ったが呂布が死ぬと曹操に降った。 その後は曹操の武将として青州や徐州攻略、そして孫権との戦いで活躍。 演義の臧覇曹操を濮陽城内...
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曹爽 そうそう、司馬懿に政争で敗れる【三国志 演義と正史の比較】

曹真の子。大将軍。武安侯。 病床の曹叡から司馬懿と共に幼帝房の補佐を命じられる。 しかし司馬懿を太傅に棚上げして朝廷の実権を掌握。 夏侯玄と蜀征伐(駱谷の戦い)を起こした。 司馬懿が病気のふりをして油断させると、曹爽はすっかり安心し...
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曹仁 そうじん、曹操の一族の大将格【三国志 演義と正史の比較】

曹操の従弟。曹純の兄。魏の大司馬、忠侯。 武芸に通じ猛将として有名。しかし短気で浅慮。 曹操に従って袁術を撃破し河北平定に貢献した。 曹操の命で樊に駐屯して荊州をうかがうと関羽の攻撃を受けて包囲されたが味方の加勢で突破する。 曹丕が...
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曹真 そうしん、司馬懿とともに曹叡を支えるが、諸葛亮に翻弄される【三国志 演義と正史の比較】

曹操の族子。 鎮西将軍、 大将軍。 曹丕と兄弟同様に育ち信頼された。 魏の呉攻略に従軍して敵将陸遜に大敗した。 後に蜀の諸葛亮の北伐を防ぎ蜀への討伐軍を率いた。 曹丕に曹叡を託されて司馬懿と陳羣の三人で政治を補佐した。 演義の曹真蜀...
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曹植 そうしょく、文才に優れ、父・曹操に愛されていた【三国志 演義と正史の比較】

曹操の三男。曹丕・曹彰の同母弟。詩人。諡号は陳思王。 丁儀や楊修などが脇をかため曹丕と最後まで後継者問題で争った。 曹丕が即位すると冷遇されて領国へ引きこもった。 性質はおおまかで華美ではないが天才肌で努力をせず飲酒も慎まなかった。 ...
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曹彰 そうしょう、曹操の次子で、腕力は人並み以上で武芸を好み猛獣と格闘するほどの激しい気性【三国志 演義と正史の比較】

曹操の次子。 鬚が黄色だったので曹操から「黄鬚児」と呼ばれた。 腕力は人並み以上で武芸を好み猛獣と格闘するほどの激しい気性。 代郡の烏丸の反乱や他の蛮族の征伐に派遣されることが多かった。 演義の曹彰漢中をめぐり劉備軍と交戦する曹操が陽...
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曹洪 そうこう、曹操の補佐した魏の功臣【三国志 演義と正史の比較】

字は子廉。曹操の従弟。 驃騎将軍など歴任。 一族の曹仁とともに曹操の旗揚げ当時から従った猛将。 弓馬にすぐれていて、呂布や衰紹との戦いなど、曹操の初期の頃の戦いにはほとんど参加しており、董卓との戦いで伏兵にあって重傷となった曹操を背負...
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曹休 そうきゅう、曹丕のもとで呉征伐を指揮【三国志 演義と正史の比較】

曹操の族子。 演義の曹休弓の名手として、銅雀台落成の祝宴で腕前を披露、 その後、濡須口の戦いで凌統の馬を射る。 献帝に譲位をせまって曹丕を帝位に就け、 曹叡の時には大司馬に任命される。 その後揚州司馬大都督となるが、賈逵の忠告を入れず...
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曹叡 そうえい、司馬懿を重用した魏の明帝【三国志 演義と正史の比較】

魏の明帝。曹丕と鄭夫人との子。 司馬懿を重用し、呉、蜀に対抗したが、晩年は土木工事を行ない、民力を疲弊させた。 演義の曹叡皇太子の時、狩りで親鹿を失った子鹿を射ることはできないと訴え、「仁徳の王だ」と曹丕を感嘆させる。 即位すると司馬懿...
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審配 しんぱい、曹操に屈しない忠臣だった袁紹の幕僚【三国志 演義と正史の比較】

袁紹の幕僚。激しい気性で、節操が固く、古武士の風格があるといわれた。 逢紀とともに袁尚を後継者にしようとし、袁譚を擁立する辛評、郭図と対立した。 袁紹が曹操と争うか迷ったときは、主戦派につき、田豊らと争った。曹操と戦うことが決まると逢紀...
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ハイライン・プレッシングのメリットとデメリット【エヴァートン監督アンチェロッティの定義】

ハイラインでのプレス プレッシングは、大きく2つ のタイプに分けることができる。 ひとつは、ボールを失った直後、すなわちネガティブ・トランジションの段階ですぐに行うやり方で、ハイライン・プレッシング(イタリア語ではプレッシング・アルト)と...
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徐晃 じょこう、張遼、 楽進、于禁、張郃とならぶ魏の武将【三国志 演義と正史の比較】

はじめ車騎将軍楊奉の部下。 曹操への帰順を楊奉に勧めるが、聞き入れられず、楊奉が討伐されると曹操に仕えた。 呂布討伐、官渡、赤壁と曹操に従って数々の勲功をあげ、陽陵城で関羽を破り、曹仁を救った。 曹丕が即位すると、右将軍となった。 演...
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徐盛 じょせい、諸葛亮・劉備の暗殺に失敗した呉将【三国志 演義と正史の比較】

柴桑で黄射の襲来をくいとめて孫権に認められ、校尉となる。のち建武将軍に進んだ。赤壁や合肥、濡須の戦いなどで功績を上げた。 演義の徐盛周瑜の命を受けて、七星壇から逃走する孔明を追うが失敗。また劉備を婚姻の席を利用して討とうとした際も逃げられて...
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