三国志

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虞翻(ぐほん)、孫策・孫権に仕えた有能な呉の幕僚【三国志 演義と正史の比較】

字は仲親。会稽郡余姚の人。呉の幕僚。 演義の虞翻孫策に敗れた厳白虎を、太守の王朗は軍を率いて助けようとする。虞翻は「孫策は仁義の軍なので、厳白虎を捕縛して引き渡すのが良い」と諌めるが、王朗は聞き入れなかったので、嘆息して退出した。 後に、...
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邢道栄(けいどうえい)、劉備に徹底抗戦し、最期は趙雲に討たれた零陵の暴れん坊【三国志 演義と正史の比較】

零陵の太守・劉度と、その子の劉賢に仕え、勇猛ぶりから兵権を預けられた豪傑。 演義の邢道栄荊州の守りを盤石にしようと、南郡に攻めこんできた劉備軍に対して、徹底抗戦を主張。 劉備が攻め寄せて来ると、劉賢とともに、1万の兵を率いて出撃した。城外...
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金旋(きんせん)、劉備に対抗し張飛に震え上がる武陵太守【三国志 演義と正史の比較】

字は元機。京兆の人。黄門郎や漢陽の太守を歴任し、中央にも認められて召され、議郎を拝命。 やがて中郎将に昇進し、この時、武陵郡の太守を兼任する。 演義の金旋武陵郡の太守としてしか登場しない。 赤壁の戦いののち、荊州南部の領有を狙う劉備は、...
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金環三結(きんかんさんけつ)、南蛮王孟獲の部下で、趙雲と魏延の夜襲に敗れる【三国志 演義と正史の比較】

南蛮王・孟獲の部下で、第一洞の主。 演義の金環三結諸葛亮の南蛮征伐で七度捕らえられ、最後は帰順した孟獲。 その孟獲が最初に諸島亮と戦った際、金環三結は五万の兵を率いて主力を担った。 孟獲はこの戦いで軍を三つに分けたが、金環三結はそのうち...
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紀霊(きれい)、劉備や呂布と争う袁術に従った武将【三国志 演義と正史の比較】

袁術配下の将。山東の人。 曹操の幕僚の荀彧の策により相争うことになった、袁術対劉備の戦いで活躍する。 演義の紀霊五十斤の重さの三尖刀の使い手。 劉備か袁術討伐に出撃してくると、袁術は紀霊を総大将とし10万の兵を迎撃に出した。紀霊は関羽と一...
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許攸(きょゆう)、官渡の戦いで袁紹から曹操に寝返り勝利を導いた【三国志 演義と正史の比較】

字は子遠。南陽の人。袁紹の幕僚だった。 演義の許攸袁紹が冀州を支配すると行政をまかされた。袁紹が曹操と開戦するか迷った際は、開戦を主張する。 同じ主に仕える幕僚の審配とは仲が悪く、司令官が審配だったことに不満を持ち、戦意は上がらなかった。...
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許靖(きょせい)、諸葛亮とともに劉備に皇帝即位を請う上表【三国志 演義と正史の比較】

字は文休。蜀郡の太守。 劉備が益州の牧となると、将軍・長史として取り立てられた。さらに劉備が漢中王になる時に太博、帝位についた際には、司徒に任じられている。 演義の許靖劉備の意を受けた馬超が成都の劉璋に降伏勧告をすると、ただちに城壁を乗り...
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許褚(きょちょ)、典韋にかわる、曹操の近衛隊長!関羽・張飛とも互角【三国志 演義と正史の比較】

字は仲康。身の丈八尺。腰まわりは十囲。 演義の許褚 大薙刀の遣い手。曹操が、汝南、穎川の黄巾残党を討伐に行なった際、何儀を追う典韋の前に登場。 一昼夜にわたって戦うが、勝負がつかない。彼の力量を見抜いた曹操は、典韋にわざ...
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許貢(きょこう)、孫策の北上を曹操に報せようとするも露見…【三国志 演義と正史の比較】

呉郡都尉、呉郡太守。 演義の許貢曹操が袁紹と争う隙を衝き、孫策が大軍とともに北上して留守の許都を攻めようとした。 江東を平定した孫策は、大司馬に就きたい旨をを申し出る。しかし、曹操が承諾を与えなかったので、孫策はこれを深く恨み、許都を襲撃...
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許儀(きょぎ)、許褚の跡取りだが、手柄をはやり鍾会に斬首された【三国志 演義と正史の比較】

魏で一、二を争うう猛将だった許褚の跡取り。 牙門将軍。
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橋瑁(きょうぼう)、単独で董卓を追撃し、大敗した曹操に、宴席で嫌味を言われた【三国志 演義と正史の比較】

字は元偉。東郡の太守。名は喬瑁とも書く。 橋玄の一族で、以前兗州の刺史を務めたこともある。 演義の橋瑁虎牢関の戦いに八軍のひとつとして参加している。曹操が発した撤文に応じて挙兵し、反董卓連合軍の第七鎮として洛陽に進軍したのである。 虎牢...
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龔都(きょうと)、元黄巾賊だが、劉備の配下になり、その軍事的な基盤を提供【三国志 演義と正史の比較】

元黄巾賊の武将。相棒の劉辟とともに残党を集めて汝南に勢力を張る。 徐州を失って流浪中の孫乾と出会い、劉備の配下になることになる。 賊徒の親玉とはいえ、汝南一帯を縄張りとした劉辟・龔都たちの勢力は軽視できぬ武威を誇っていた。 演義の龔都曹...
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橋蕤(きょうずい)、袁術配下で孫策、呂布、曹操と戦い、最期は夏侯惇に討たれる【三国志 演義と正史の比較】

袁術の配下で、大将軍の地位にまで昇る。 演義の橋蕤孫策を討伐するための議が開かれた時、その席上に名が見られる。 帝の名を僭称したことで、袁術と呂布が争った際には、第二軍上将として参戦。 しかし味方諸軍が敗退したため、橋蕤もまた退いた。 ...
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鞏志(きょうし)、張飛に協力して劉備を喜ばせた武陵の武将【三国志 演義と正史の比較】

武陵郡の従事。劉備に降伏後、武陵太守に封じられた。 演義の鞏志荊州平定のため張飛が武陵に攻め寄せてくると、上司の太守金旋に、漢の皇叔でもある劉備の人望と、張飛の勇猛さを考えると、降伏したほうが良いと諌める。 しかし、逆に金旋から劉備との内...
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丘力居(きゅうりょくきょ)、乱に乗じ青州、幽州、徐州、冀州を荒らす【三国志 演義と正史の比較】

遼東烏丸の大人(酋長)で、五千余という広大な規模の集落を治めて王を称していた。 演義の丘力居 記述なし。 正史の丘力居 青州、幽州、徐州、冀州の四郡にまたがり、ダイナミックに後漢朝の領地を侵した。 中山太守の張純が接近してくると、...
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牛輔(ぎゅうほ)、董卓の娘婿で、のちに呂布に敗れる【三国志 演義と正史の比較】

董卓の女婿で中郎将。西の守備を任され、董卓の洛陽行きには従わなかった。 演義の牛輔董卓が殺された後、その仇を討つために李傕、郭氾、張済らとともに長安へと向かう。 5千の軍を率いて、長安へ仇討ちに向かうと、途中で李傕らの軍と合流すると、先手...
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牛金(ぎゅうきん)、呉の周瑜や甘寧と激闘を演じた魏将【三国志 演義と正史の比較】

魏の曹仁配下の武将。正史では後に後将軍。 演義の牛金南郡にあって、攻め寄せ一る呉軍に戦いを挑む。 曹仁に従い南郡を守備する。呉軍が襲来すると、意気込んで500名の兵を率いて出撃するが、丁奉の軍に包囲される。曹仁の奮戦で救出されると、反撃に...
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戯志才(ぎしさい)、荀彧が推挙し曹操が頼りにした郭嘉の前任者【三国志 演義と正史の比較】

策略に優れた軍師的な存在で、 曹操に重く用いられた。
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魏続(ぎぞく)、呂布配下の勇将で、のちに曹操に仕える【三国志 演義と正史の比較】

呂布に従って各地を転戦した。 曹操との本格的な抗争で、戦いに敗れると、呂布に従い、下邳に寵城。ところが呂布はしだいに酒に溺れ、勝手な振る舞いが多くなる。 呂布軍の敗色が濃厚になると、宋憲・侯成らと共謀して呂布を捕らえ、曹操軍に引き渡した。...
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顔良(がんりょう)、袁紹ご自慢の猛将だが、関羽に斬られた【三国志 演義と正史の比較】

袁紹配下の猛将。文醜とともに名を馳せたが、関羽に斬られた。 演義の顔良発見された伝国の玉璽をめぐって、袁紹と孫堅がにらみあう。このとき、顔良は文醜とともに剣を抜き、程普、黄蓋、韓当らと対時した。 袁紹が冀州に入城する際、袁紹を殺害しようと...
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簡雍(かんよう)、劉備とは旧知の仲の幕僚で、劉璋に降伏を説得【三国志 演義と正史の比較】

字は憲和。劉備の幕僚。同郷の劉備とは旧知の仲。糜竺、孫乾とともに早くから劉備に従った。 演義の簡雍常に劉備と苦労をともにした。劉備と呂布が戦うと、糜竺とともに徐州に残り、徐州が曹操の手に落ちると、 劉備とともに袁紹のもとに身を寄せ、新野で曹...
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麴義(きくぎ)、袁紹の武将で、公孫瓚配下時代の趙雲に討たれる【三国志 演義と正史の比較】

袁紹の武将。公孫瓚征伐に従い、厳綱を討ち取るなどの活躍があった。 演義の麴義袁紹に冀州分割の密約を反故にされた上、弟の公孫越を殺された公孫瓚は、怒り心頭に発し、冀州に攻め寄せ、袁紹と対陣する。 この際に麹義は、弩隊800名と歩兵1万5千名...
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魏攸(ぎゆう)、劉虞配下で、公孫瓚との戦いを諫める【三国志 演義と正史の比較】

右北平の人。皇族で幽州牧の劉虞の下にいた。 演義の魏攸記述なし。 正史の魏攸劉虞は、北方の異民族に金品を与え、懐柔する政策をとっていた。 しかし近隣の公孫瓚は「異民族は制御できる相手ではない」とし、劉虞の金品を常に横取りしていた。 怒る...
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管輅(かんろ)、左慈の妖術で倒れた曹操に呼び出され、魯粛の死を予言した卜占の天才【三国志 演義と正史の比較】

演義の管輅平原の人。 十九歳で寿命が尽きた男に、 北斗、南斗の居場所を教え、酒食をささげて寿命を延ばすという方法を教える。 左慈の妖術で倒れた曹操に呼び出される。この時、呉でひとりの将が死に、蜀が侵入してくると予言。すぐに呉の魯粛の死が...
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